美しい「形」の日本 書評と感想
最近立ち読みしたてよかった本。
美しい「形」の日本 著者 田中英道
日本の「形」に着目した独自の形象学の考え方が面白く参考になる。
日本は「形」の文化。確かに日本人は「形」にこだわる。
型を作るのも得意。型をまねるのも得意。
日本人の形(型)にこだわる意識は、いつどこからきたのだろうか?
それはすでに縄文時代にはあった。縄文土器の複雑な形(模様)から芸術的なこだわりが見える。
また、日本が起源である前方後円墳はじめ古墳も「形」を意識して作られている。
宗教性においても「形」は重要であった。
なぜ神道だった日本で仏像信仰が受け入れられたのかの?
神仏融合の本地垂迹(神仏習合思想)において、「仏や菩薩が日本の神々の姿を借りて、人々を救うために現れる」という垂迹神と本地仏の思想がある。この逆の観点で見ると、いままで偶像化を禁止されて文字でしか表現できなかった日本の神々が、仏を通して形として象徴化したことも神仏融合できた要因だったのでは。
【本地垂迹の関係】
天照大神 = 大日如来、十一面観世音菩薩
八幡神 = 阿弥陀如来 = 応神天皇
熊野権現 = 阿弥陀如来、善財王とその妃・王子(熊野曼荼羅)
日吉 = 天照大神 = 大日如来
素盞鳴 = 牛頭天王= 薬師如来
大国主 = 大黒天
また、日本の仏像は粗悪なものではなく崇高な美しい芸術的なものが多い。
この芸術性の高さも人々を魅了していった要因だった。
神社仏閣の建築においても同様に言える。
日本の匠とよばれる職人たちのこだわりの精神でもあり、今も受け継がれている。
そこには、美しい「形」保つことが日本の「美」の原則であり
日本の「形」を一貫して追求する精神性があった。
血統や伝統や文化もすべて「形」、「形」を保つことが美徳とされる。
形=美=崇高=神
日本人は皆、この感受性を生まれながらに持っていたと思う。
日月神示の中にも型に関することが出てくる。
日月神示も「形」の表れだとすれば、その「形」を読み解く視点も必要だと思う。
文字にはあらわれない、隠された特性や本質は
「形」を読み解かなければ見えてこない!
美しい「形」の日本 著者 田中英道
美しい「形」の日本 (2013/01/30) 田中英道 商品詳細を見る |
日本の「形」に着目した独自の形象学の考え方が面白く参考になる。
日本は「形」の文化。確かに日本人は「形」にこだわる。
型を作るのも得意。型をまねるのも得意。
日本人の形(型)にこだわる意識は、いつどこからきたのだろうか?
それはすでに縄文時代にはあった。縄文土器の複雑な形(模様)から芸術的なこだわりが見える。
また、日本が起源である前方後円墳はじめ古墳も「形」を意識して作られている。
宗教性においても「形」は重要であった。
なぜ神道だった日本で仏像信仰が受け入れられたのかの?
神仏融合の本地垂迹(神仏習合思想)において、「仏や菩薩が日本の神々の姿を借りて、人々を救うために現れる」という垂迹神と本地仏の思想がある。この逆の観点で見ると、いままで偶像化を禁止されて文字でしか表現できなかった日本の神々が、仏を通して形として象徴化したことも神仏融合できた要因だったのでは。
【本地垂迹の関係】
天照大神 = 大日如来、十一面観世音菩薩
八幡神 = 阿弥陀如来 = 応神天皇
熊野権現 = 阿弥陀如来、善財王とその妃・王子(熊野曼荼羅)
日吉 = 天照大神 = 大日如来
素盞鳴 = 牛頭天王= 薬師如来
大国主 = 大黒天
また、日本の仏像は粗悪なものではなく崇高な美しい芸術的なものが多い。
この芸術性の高さも人々を魅了していった要因だった。
神社仏閣の建築においても同様に言える。
日本の匠とよばれる職人たちのこだわりの精神でもあり、今も受け継がれている。
そこには、美しい「形」保つことが日本の「美」の原則であり
日本の「形」を一貫して追求する精神性があった。
血統や伝統や文化もすべて「形」、「形」を保つことが美徳とされる。
形=美=崇高=神
日本人は皆、この感受性を生まれながらに持っていたと思う。
日月神示の中にも型に関することが出てくる。
日月神示も「形」の表れだとすれば、その「形」を読み解く視点も必要だと思う。
文字にはあらわれない、隠された特性や本質は
「形」を読み解かなければ見えてこない!
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神道を仏教伝来以前の姿にもどす復古神道と神仏分離を築いた平田篤胤
初めて東京の赤坂見附にある豊川稲荷に行ってみた。
神社だと思って行くと違和感を感じる。初めは神社だと思っていた。
狛犬ならぬ狛狐がいっぱいあり圧倒される。
七福神に関係したご利益ものもたくさんある。
神社に七福神は珍しくないが、なんかご利益のデパートみたい。観音像もある。
違和感があったのであとで調べてみると、
ここは神仏習合と神仏分離の歴史が顕著にわかるところですね。
この神道を仏教伝来以前の姿にもどす神仏分離令のもとになったのは、平田篤胤ら国学者が提唱した復古神道の思想であったという。
この名前は聞いたことがありましたが、出身はなんと同じ秋田。
篤胤の墓は実家から近いのですが(今度行ってみたい)、篤胤については灯台もと暗しでしたね。
神仏分離の背景には平田篤胤の思想があったとは。。。
この復古神道の思想は、後の明治時代に鎮魂帰神を中核とする本田霊学を確立した本田親徳や、本田の弟子の長沢雄楯、大本教の出口王仁三郎らに派生し、人間の心は、根源神の分霊である「直霊」(なおひ)が、「荒魂」、「和魂」、「奇魂」、「幸魂」の4つの魂を統御するという日本古来の「一霊四魂」説にも繋がっていったという。
改めて平田篤胤の功績はある意味で神懸かっていたと思う。
かなり独断的独善的な思想で「仏教を拭い去れば、そこに古代からある日本人の信仰が皇室を中心に姿を現す」と信じていた。
ただ、神仏分離令を推進する神祇官となり権力を得た元国学者の中には、自分たちの権益の拡大のために神道の国教化を利用していったのも事実のようだ。
神道と仏教の分離が目的であったが、仏教寺院・仏像・経巻を破毀(はき)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動に発展し、山岳信仰から仏教を剥ぎ取るために強引に古事記神道に結びつけ進めていったことが混乱の波紋を広げた。
身近なところでは日枝神社も廃仏毀釈の影響を受けた中の一つだったようだ。
日月神示で仏教について書かれているところ。
神社だと思って行くと違和感を感じる。初めは神社だと思っていた。
狛犬ならぬ狛狐がいっぱいあり圧倒される。
七福神に関係したご利益ものもたくさんある。
神社に七福神は珍しくないが、なんかご利益のデパートみたい。観音像もある。
違和感があったのであとで調べてみると、
ここは神仏習合と神仏分離の歴史が顕著にわかるところですね。
この神道を仏教伝来以前の姿にもどす神仏分離令のもとになったのは、平田篤胤ら国学者が提唱した復古神道の思想であったという。
この名前は聞いたことがありましたが、出身はなんと同じ秋田。
篤胤の墓は実家から近いのですが(今度行ってみたい)、篤胤については灯台もと暗しでしたね。
神仏分離の背景には平田篤胤の思想があったとは。。。
この復古神道の思想は、後の明治時代に鎮魂帰神を中核とする本田霊学を確立した本田親徳や、本田の弟子の長沢雄楯、大本教の出口王仁三郎らに派生し、人間の心は、根源神の分霊である「直霊」(なおひ)が、「荒魂」、「和魂」、「奇魂」、「幸魂」の4つの魂を統御するという日本古来の「一霊四魂」説にも繋がっていったという。
改めて平田篤胤の功績はある意味で神懸かっていたと思う。
かなり独断的独善的な思想で「仏教を拭い去れば、そこに古代からある日本人の信仰が皇室を中心に姿を現す」と信じていた。
ただ、神仏分離令を推進する神祇官となり権力を得た元国学者の中には、自分たちの権益の拡大のために神道の国教化を利用していったのも事実のようだ。
神道と仏教の分離が目的であったが、仏教寺院・仏像・経巻を破毀(はき)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動に発展し、山岳信仰から仏教を剥ぎ取るために強引に古事記神道に結びつけ進めていったことが混乱の波紋を広げた。
身近なところでは日枝神社も廃仏毀釈の影響を受けた中の一つだったようだ。
日月神示で仏教について書かれているところ。
捨ててこそ人生は開ける!
最近立ち読みした本。
「捨ててこそ人生は開ける」 他阿 真円住職
日月神示の本ではありません。
著者が戦時中ビルマ、インドネシア、ニューギニアなどで
地獄の戦場や抑留生活の経験を通して悟ってきた
波乱の人生体験談。
捨てること = 我をなくし、すべて神にゆだねること
戦争とは、死とは、人生とはなにかを改めて痛感。
すべては感謝する道である。
「捨ててこそ人生は開ける」 他阿 真円住職
日月神示の本ではありません。
著者が戦時中ビルマ、インドネシア、ニューギニアなどで
地獄の戦場や抑留生活の経験を通して悟ってきた
波乱の人生体験談。
捨ててこそ人生は開ける―― 「苦」を「快」に変える力 (2013/06/07) 他阿 真円 商品詳細を見る |
捨てること = 我をなくし、すべて神にゆだねること
戦争とは、死とは、人生とはなにかを改めて痛感。
すべては感謝する道である。
日月神示と昭和史から見えてくるもの!
日月神示がおろされて今日で69年経った。
69年前(1944年)はどんな時代だったか?
おろされた時期と時代背景の出来事が
よくわかるように今年表を作っている。
日月神示年表(時代背景)
http://hitsukishinji.web.fc2.com/
内記 正時氏著書の
「奥義編 [日月神示] 神一厘のすべて」
を読んでから昭和天皇の時代である昭和史に
改めて興味をもった。
日月神示の内容もその時代背景を語っている
ところも多いのでその意味を理解しやすくする
ためでもある。
改めていろいろ調べて見ると、
まだ70年あまり前だというのに今の日本からは考えら
れないような壮絶な時代だったことがわかる。
最近では当時の日本軍を美化する書籍やコメント
も多く出ている。
世界最強の歩兵力だったとも言われるように
もなってきた。
まだまだ戦えるだけの戦闘機をはじめ兵力は
あったようだが、広島、長崎に原爆投下されて、
昭和天皇の詔勅で終戦となる。
次の原爆投下目標は、京都か東京だったようだが、
最悪の事態は間逃れたということか。
そこまでしなければならないほどアメリカは
日本に対して脅威を感じていたことを意味する。
天皇陛下や国のために命を惜しまない強烈な
国民の精神は負けてはいなかった。
国民も戦争に勝てば貧しさ苦しさからも開放され
幸せな豊かな時代がくると期待するしかなかった。
ほんとうに多くの犠牲を出してまでも得ようと
したものはなんだったのか?
なんとも皮肉な時代であったと思う。
そんな中で日月神示を通して、神は何を伝えた
かったのか?
日月神示の中で出てくる言葉で、型、仕組みという
内容が意味するものは何か?
「歴史は繰り返す」とよく言われていることだが、
なぜ繰り返えされるのか?
ここの日月神示で言わんとすることを読み取っていく
ことがその解明に結びついていく。
そして大難が小難になるように願う。
69年前(1944年)はどんな時代だったか?
おろされた時期と時代背景の出来事が
よくわかるように今年表を作っている。
日月神示年表(時代背景)
http://hitsukishinji.web.fc2.com/
内記 正時氏著書の
「奥義編 [日月神示] 神一厘のすべて」
を読んでから昭和天皇の時代である昭和史に
改めて興味をもった。
日月神示の内容もその時代背景を語っている
ところも多いのでその意味を理解しやすくする
ためでもある。
改めていろいろ調べて見ると、
まだ70年あまり前だというのに今の日本からは考えら
れないような壮絶な時代だったことがわかる。
最近では当時の日本軍を美化する書籍やコメント
も多く出ている。
世界最強の歩兵力だったとも言われるように
もなってきた。
まだまだ戦えるだけの戦闘機をはじめ兵力は
あったようだが、広島、長崎に原爆投下されて、
昭和天皇の詔勅で終戦となる。
次の原爆投下目標は、京都か東京だったようだが、
最悪の事態は間逃れたということか。
そこまでしなければならないほどアメリカは
日本に対して脅威を感じていたことを意味する。
天皇陛下や国のために命を惜しまない強烈な
国民の精神は負けてはいなかった。
国民も戦争に勝てば貧しさ苦しさからも開放され
幸せな豊かな時代がくると期待するしかなかった。
ほんとうに多くの犠牲を出してまでも得ようと
したものはなんだったのか?
なんとも皮肉な時代であったと思う。
そんな中で日月神示を通して、神は何を伝えた
かったのか?
日月神示の中で出てくる言葉で、型、仕組みという
内容が意味するものは何か?
「歴史は繰り返す」とよく言われていることだが、
なぜ繰り返えされるのか?
ここの日月神示で言わんとすることを読み取っていく
ことがその解明に結びついていく。
そして大難が小難になるように願う。
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