日月神示と宇宙の法則から学ぶ幸運をつかむ法
岡本天明氏が自動書記で書いたという神からのお告「日月神示」と
中矢伸一氏などの「日月神示」の翻訳著書、さらに宇宙の法則(引き寄せの法則)から学ぶ、
日本ルネッサンスの研究と実践のブログです。
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DATE: 2013/06/21(金)   CATEGORY: 神道
美しい「形」の日本 書評と感想
最近立ち読みしたてよかった本。
美しい「形」の日本 著者 田中英道

美しい「形」の日本美しい「形」の日本
(2013/01/30)
田中英道

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【内容】
縄文・遮光器土偶、前方後円墳、法隆寺、聖徳太子、運慶の謎に迫る!
そして万世一系の天皇も「形」の美だった!?
歴史学者や考古学者が見落としていた真実。
文字ではあらわせなかった美の衝撃。

日本再発見! 文字資料にはあらわれない、隠された日本文化の特性は
「形」を読み解かなければ、本質は見えてこない。

【目次】
第1章 「文字」より「形」の日本文化
 ・日本には世界的な美術品が目白押し
 ・日本人は「形」と「言葉」は別物と考えてきた
 ・文字の有無が文明を計る尺度か?
 ・縄文土器のすばらしさ
 ・日本は文字など必要としない平穏な社会だった
 ・過度の「文字信仰」排す
 ・『魏志倭人伝』からは見えてこない三世紀日本の実像
 ・仮名文字を生み出した日本人の形象感覚
 ・「フォルモロジー」で日本文化を捉えなおす

第2章 無文字時代にも高度な文化があった
 ・「形」の文化はすでに縄文中期に確立されていた
 ・土偶に見る原日本人の心性
 ・仁徳天皇陵は世界最大の墳墓である
 ・前方後円墳のナゾを解く
 ・ナイーブであどけない埴輪は「霊」の象徴である
 ・現日本人の宗教観①~自然信仰
 ・現日本人の宗教観②~御霊信仰、皇祖霊信仰

第3章 日本文化における「形」の優位
 ・仏像の美に衝撃を受けた欽明天皇
 ・聖徳太子が建てた世界最古の木造建築
 ・聖徳太子が日本人の信仰の「形」を定めた
 ・墓から寺への「形」の移動
 ・日本の仏像はなぜすぐれているのか
 ・飛鳥・奈良時代の天才仏師たち
 ・アトリビューションの重要性
 ・パトロンの存在も見逃せない
 ・奈良の大仏は日本のシンボルであり誇りであった
 ・美術作品は「失われた形」を回復する
 ・運慶と西行-鎌倉彫刻の意外な接点
 ・絵巻で読む日本歴史
 ・西洋絵画を革新した浮世絵の魅力

第4章 あらゆるものに反映される日本の美
 ・万世一系の天皇も「形」の美である
 ・伊勢神宮の驚異
 ・天武天皇にはじまる「天皇」の呼称と「伊勢祭祀」
 ・神道とは何か
 ・「個」の問題は仏教で、「公」の問題は神道で
 ・「神仏融合」意外史
 ・神話以来の美しい記憶
 ・”権威”と”権力”のバランス感覚
 ・茶道や能に見る「型」の美
 ・「歌の前では平等」という日本の伝統
 ・神道と日本の美しい作法
 ・老人像の傑作群を生んだ長幼の序

第5章 日本文化の普遍的価値
 ・日本文化の価値を発信せよ
 ・「クールジャパン」の魅力
 ・世界を席捲する「匠」の技
 ・「日本型経営」を見直せ
 ・「論語と算盤」という日本的考え方
 ・共同体意識は日本人のDNA
 ・世界最古の企業は日本にあり
 ・各地で伝承される祭りのエネルギー
 ・生命科学を先取りしていた日本人の知恵
 ・こんな時代だから伝えたい”省略の美学”

日本の「形」に着目した独自の形象学の考え方が面白く参考になる。

日本は「形」の文化。確かに日本人は「形」にこだわる。
型を作るのも得意。型をまねるのも得意。

日本人の形(型)にこだわる意識は、いつどこからきたのだろうか?

それはすでに縄文時代にはあった。縄文土器の複雑な形(模様)から芸術的なこだわりが見える。
また、日本が起源である前方後円墳はじめ古墳も「形」を意識して作られている。

宗教性においても「形」は重要であった。
なぜ神道だった日本で仏像信仰が受け入れられたのかの?

神仏融合の本地垂迹(神仏習合思想)において、「仏や菩薩が日本の神々の姿を借りて、人々を救うために現れる」という垂迹神と本地仏の思想がある。この逆の観点で見ると、いままで偶像化を禁止されて文字でしか表現できなかった日本の神々が、仏を通して形として象徴化したことも神仏融合できた要因だったのでは。

【本地垂迹の関係】
天照大神 = 大日如来、十一面観世音菩薩
八幡神 = 阿弥陀如来 = 応神天皇
熊野権現 = 阿弥陀如来、善財王とその妃・王子(熊野曼荼羅)
日吉 = 天照大神 = 大日如来
素盞鳴 = 牛頭天王= 薬師如来
大国主 = 大黒天

また、日本の仏像は粗悪なものではなく崇高な美しい芸術的なものが多い。
この芸術性の高さも人々を魅了していった要因だった。
神社仏閣の建築においても同様に言える。
日本の匠とよばれる職人たちのこだわりの精神でもあり、今も受け継がれている。

そこには、美しい「」保つことが日本の「」の原則であり
日本の「形」を一貫して追求する精神性があった。
血統や伝統や文化もすべて「形」、「形」を保つことが美徳とされる。

 形=美=崇高=神

日本人は皆、この感受性を生まれながらに持っていたと思う。

日月神示の中にもに関することが出てくる。
第五巻 地つ巻
第十七帖 (一五四)
 まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ、悪人はおとなしく見えるものぞ。日本の国は世界の雛であるぞ、雛でないところは真の神の国でないから、よほど気つけておりてくれよ、一時は敵となるのざから、ちっとも気許せんことぞ、神が特に気つけておくぞ。今は日本の国となりても、神の元の国でないところもあるのざから、雛見て、よく肚に入れておいて下されよ、後悔間に合わんぞ。

第六巻 日月の巻
第十二帖 (一八五)
 江戸に攻め寄せると申してあろがな。富士目指して攻め来ると知らしてあること近づいたぞ。今までのことは皆、でありたぞ、江戸の仕組もお山も、甲斐の仕組も皆ぞ、鳴門とうず海の仕組もしてくれよ。尾張の仕組も早よう出してくれよ。済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。

第十巻 水の巻
第十三帖 (二八七)
 家族幾人いても金いらぬであろが。主人どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。神拝めよ、神祀れよ、てんし様拝めよ。何もかも皆神に捧げよ、神から頂けよ。神国治まるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民口先ばかりでまこと申しているが、口ばかりではなお悪いぞ。言やめて仕えまつれ。でんぐり返るぞ。

第十二巻 夜明けの巻
第五帖 (三二五)
 何もかも神示読めばわかるようになっていること忘れるでないぞ、この仕組言うてならず、言わねばわからんであろうなれど、神示読めば因縁だけにわかるのざぞ。石、物言う時来たぞ。山にも野にも川にも神まつれと申してあること、忘れるでないぞ、せと申してあろうが、いずれも仮ざから、三千世界の大洗濯ざから、早うしてくれよ。型結構ぞ。何もかも神人共にするのざぞ。夜明けたら、何もかもはっきりするぞ、夜明け来たぞ。鳥立てよ。

日月神示も「形」の表れだとすれば、その「形」を読み解く視点も必要だと思う。

文字にはあらわれない、隠された特性や本質は
「形」を読み解かなければ見えてこない!


 
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DATE: 2013/06/18(火)   CATEGORY: 神道
神道を仏教伝来以前の姿にもどす復古神道と神仏分離を築いた平田篤胤
初めて東京の赤坂見附にある豊川稲荷に行ってみた。
神社だと思って行くと違和感を感じる。初めは神社だと思っていた。
豊川稲荷01
狛犬ならぬ狛狐がいっぱいあり圧倒される。
七福神に関係したご利益ものもたくさんある。
神社に七福神は珍しくないが、なんかご利益のデパートみたい。観音像もある。

違和感があったのであとで調べてみると、
本家は愛知県豊川市の豊川稲荷(妙厳寺、本尊は千手観音)。
赤坂にある豊川稲荷は、信仰が深かった大岡越前守忠相公の大岡邸から奉還され江戸参詣所として創建。

この信仰は豊川稲荷境内の鎮守神として祀られている荼枳尼天(だきにてん)が発祥。密教ではダーキニーという魔神。大日如来の霊力に心服し善神となるが、かつては人の死を六か月前に予知してその心臓を食う夜叉として恐れられていた霊力が強い神。
だきにんてん00
日本では荼枳尼天は霊狐に乗り、霊狐を神の使いとしているが、この霊狐は日本独自の思想。
(半裸形から白狐にまたがる女天形へと変化)

戦国時代は三河国(愛知県豊川市)の土豪である松平氏の家系である徳川家康とも関係が深い。
怨敵退散を祈願し闘戦に勝利するために武将から崇拝された。
家康は天下統一の恩に報いるため、江戸の各所にこの荼枳尼天を稲荷神社として祭ったため、
稲荷大明神(稲荷神)である京都市伏見区の伏見稲荷大社稲荷信仰と習合して江戸に広まった。

明治新政府の神仏分離令で「豊川稲荷大明神」名や鳥居が排除されて寺院となる。

ここは神仏習合神仏分離の歴史が顕著にわかるところですね。

この神道を仏教伝来以前の姿にもどす神仏分離令のもとになったのは、平田篤胤ら国学者が提唱した復古神道の思想であったという。

平田篤胤(ひらた あつたね)
平田篤胤01
江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者。出羽久保田藩(現在の秋田市)出身。
篤胤は独自の神学を打ち立て、国学に新たな流れをもたらした。神や異界の存在に大きな興味を示し、死後の魂の行方と救済をその学説の中心に据えた。また、仏教・儒教・道教・蘭学・キリスト教など、さまざまな宗教教義なども進んで研究分析し八家の学とも称していた。西洋医学、ラテン語、暦学・易学・軍学などにも精通していた。彼の学問体系は知識の広さのために不自然な融合を示し、複雑で錯綜したものとなっている。篤胤の復古神道は平田神道と呼称され、後の神道系新宗教の勃興につながった。

この名前は聞いたことがありましたが、出身はなんと同じ秋田
篤胤の墓は実家から近いのですが(今度行ってみたい)、篤胤については灯台もと暗しでしたね。

神仏分離の背景には平田篤胤の思想があったとは。。。

この復古神道の思想は、後の明治時代に鎮魂帰神を中核とする本田霊学を確立した本田親徳や、本田の弟子の長沢雄楯、大本教の出口王仁三郎らに派生し、人間の心は、根源神の分霊である「直霊」(なおひ)が、「荒魂」、「和魂」、「奇魂」、「幸魂」の4つの魂を統御するという日本古来の「一霊四魂」説にも繋がっていったという。

平田篤胤『霊能真柱』における霊魂観 (現代密教第23号より)
http://www.chisan.or.jp/denbouin/book/gendaimikkyo/23pdf/08_23.pdf
霊の真柱
http://gunka.sakura.ne.jp/book/tamanomihashira.htm

改めて平田篤胤の功績はある意味で神懸かっていたと思う。
かなり独断的独善的な思想で「仏教を拭い去れば、そこに古代からある日本人の信仰が皇室を中心に姿を現す」と信じていた。

ただ、神仏分離令を推進する神祇官となり権力を得た元国学者の中には、自分たちの権益の拡大のために神道の国教化を利用していったのも事実のようだ。
神道と仏教の分離が目的であったが、仏教寺院・仏像・経巻を破毀(はき)し、僧尼など出家者や寺院が受けていた特権を廃する廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動に発展し、山岳信仰から仏教を剥ぎ取るために強引に古事記神道に結びつけ進めていったことが混乱の波紋を広げた。

身近なところでは日枝神社も廃仏毀釈の影響を受けた中の一つだったようだ。
明治維新の神仏分離・廃仏毀釈によって、天台宗の鎮守神である山王権現は廃された。近江国日吉山王社は比叡山延暦寺から強制的に分離され、日吉大社に強制的に改組された。山王社の多くは、大山咋神を祭神とする神道の日枝神社や日吉神社等になっている。

日月神示で仏教について書かれているところ。

第二巻 下つ巻
第十六帖 (五八)
 イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して(ぶつ)の精神や(キリスト)の精神ばかりぞ。今度は神があるかないかを、ハッキリと神力見せて、イシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神渡りて来ているから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ざと口先ばかりで申しているが、心の内は外国(幽界)人、沢山あるぞ。

第五巻 地つ巻
第六帖 (一四三)
 神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国、一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命(いのち)お預かりしたのざぞ、神の肉体、神の生命、大切せよ。神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、いつまで(仏)や(キリスト)や(いろいろなもの?)にこだわっているのざ。出雲の神様大切に、有り難くお祀りせよ、尊い御神様ぞ。天津神、国津神、みなのかみがみ様に御礼申せよ、まつろいて下されよ、結構な恐い世となりて釆たぞ、上下(うえした)グレンぞ。

第七巻 日の出の巻
第一帖 (二一四)
 岩戸は五回閉められているのざぞ、那岐・那美の尊の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏来た時と、大切なのは素盞鳴の神様に罪着せした時、その五度の岩戸閉めであるから、この度の岩戸開きはなかなかに大層ぞと申すのぞ。いよいよ厳しくなってきたが、これからが正念場ざぞ、否でも応でも裸にならなならんぞ、裸ほど結構なものないことだんだんわかりて来るぞ。


DATE: 2013/06/12(水)   CATEGORY: 幸福
捨ててこそ人生は開ける!
最近立ち読みした本。
「捨ててこそ人生は開ける」 他阿 真円住職
日月神示の本ではありません。
著者が戦時中ビルマ、インドネシア、ニューギニアなどで
地獄の戦場や抑留生活の経験を通して悟ってきた
波乱の人生体験談。

捨ててこそ人生は開ける―― 「苦」を「快」に変える力捨ててこそ人生は開ける―― 「苦」を「快」に変える力
(2013/06/07)
他阿 真円

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第1部 「苦しみ」から「喜び」の人生へ―人生は苦しいのが当たり前
 ・貧乏寺での出生、そして戦地へ―青春なき青春時代
 ・二度の死の危機を乗り越えて―思いがけない法主就任
第2部 どんなときでも道は開ける―現世を力強く生き抜くための一問一答
 ・平成の国難を乗り越える覚悟
 ・「便利症候群」におかされた現代人
 ・自利利他の心で生きる ほか
第3部 十二快健康法―心身の健康長寿を保つために
 ・九四歳、私の元気の秘密
 ・私の健康法に現代医学の裏付けがあった
 ・健康は「快」に尽きる ほか


捨てること = 我をなくし、すべて神にゆだねること

戦争とは、死とは、人生とはなにかを改めて痛感。

すべては感謝する道である。

第六巻 日月の巻 第十五帖より
 目覚めたらその日の生命お預かりしたことを神に感謝し、その生命を神の御心のままに弥栄に仕えまつることに祈れよ。神はその日その時に何すべきかにつきて教えるぞ。明日のことに心使うなよ。心は配れよ。取り越し苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体となりきれよ。何もかも捨てきらねばならんぞ。天地皆神のものぞ、天地皆己れのものぞ。取り違い致してくれるなよ。


DATE: 2013/06/10(月)   CATEGORY: 日月神示
日月神示と昭和史から見えてくるもの!
日月神示がおろされて今日で69年経った。
69年前(1944年)はどんな時代だったか?

おろされた時期と時代背景の出来事が
よくわかるように今年表を作っている。

日月神示年表(時代背景)
http://hitsukishinji.web.fc2.com/

内記 正時氏著書の
「奥義編 [日月神示] 神一厘のすべて」
を読んでから昭和天皇の時代である昭和史に
改めて興味をもった。
日月神示の内容もその時代背景を語っている
ところも多いのでその意味を理解しやすくする
ためでもある。

改めていろいろ調べて見ると、
まだ70年あまり前だというのに今の日本からは考えら
れないような壮絶な時代だったことがわかる。
最近では当時の日本軍を美化する書籍やコメント
も多く出ている。
世界最強の歩兵力だったとも言われるように
もなってきた。

まだまだ戦えるだけの戦闘機をはじめ兵力は
あったようだが、広島、長崎に原爆投下されて、
昭和天皇の詔勅で終戦となる。
次の原爆投下目標は、京都東京だったようだが、
最悪の事態は間逃れたということか。

そこまでしなければならないほどアメリカは
日本に対して脅威を感じていたことを意味する。

天皇陛下や国のために命を惜しまない強烈な
国民の精神は負けてはいなかった。
国民も戦争に勝てば貧しさ苦しさからも開放され
幸せな豊かな時代がくると期待するしかなかった。

ほんとうに多くの犠牲を出してまでも得ようと
したものはなんだったのか?
なんとも皮肉な時代であったと思う。

そんな中で日月神示を通して、神は何を伝えた
かったのか?

日月神示の中で出てくる言葉で、型、仕組みという
内容が意味するものは何か?

歴史は繰り返す」とよく言われていることだが、
なぜ繰り返えされるのか?

ここの日月神示で言わんとすることを読み取っていく
ことがその解明に結びついていく。

そして大難が小難になるように願う。

第三巻 富士の巻 第二十五帖 より
 世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、ことに可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑わぬようになされよ、神疑うと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ、大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ、大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様ざから、どうにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。

第十三巻 雨の巻 第八帖より
 大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろうがな、いかようにでも受け入れて、善きようにしてやるよう仕組みてある神の心わからんか、天災待つは悪のぢゃと知らしてあろうが、まだわからんのか、国敗けて大変待ちいる臣民沢山あるが、そんな守護神に使われていると気の毒になって来るぞ、よく神示読んで下されよ。今の守護神、悪の血筋、眷属であるぞ。


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