日月神示と宇宙の法則から学ぶ幸運をつかむ法
岡本天明氏が自動書記で書いたという神からのお告「日月神示」と
中矢伸一氏などの「日月神示」の翻訳著書、さらに宇宙の法則(引き寄せの法則)から学ぶ、
日本ルネッサンスの研究と実践のブログです。
DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
DATE: 2013/10/12(土)   CATEGORY: 幸福
「死は存在しない、僕たちは死なない」 もっとあの世に聞いた、この世の仕組み より
「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」 著者 雲 黒斎

書評と感想 ②

「死は存在しない」、つまり「僕たちは死なない(死ねない)」

僕たちは出産の前から命はある。
では、もし命が、どこかの時点で宿ったり失われたりするような
ものなのだとしたら、その命は、いつ宿ったと言えるのでしょうか。

何かに命が宿ることがあるとするならば、まず先に、
命が宿っていない何かが必要になります。

僕たちが「命が宿っていない何か」「生きていない何か」だった
ことはあるでしょうか。
それは、まだ肉体が形成される前の「受精卵(胚)」でしょうか?
いや、確かに形としてはまだ人型になっているわけではありませんが、
受精卵だって休むことなく細胞分裂を繰り返しているのですから、
すでに「生きて」います。

ではそれ以前。
精子や卵子だった時はどうでしょうか。
それは、「生きていない何か」だったでしょうか。
そんなはずはありませんね。精子も卵子も生きていたからこそ、
それが結びついて受精卵になれたわけです。

と、いうことは……。あれ?
僕たちが何となく漠然と持っていた「一人に対して一つの命」と
いうその考えをそのまま活用するとおかしなことになってしまいます。

「精子には精子の命」、そして「卵子には卵子の命」が必要なはずです。

だとしたら、その二つが結びついた胎児には、精子分の命と卵子分の命、
つまり、二つの命が宿っているという話になってしまいます。

本当にそうであるなら、僕たちは「二度死ねる」ということになって
しまいますが、そんな人には出会ったことがありません。

つまり、僕がかつて抱いていた、
「僕の身体に僕の命が宿っている(一人に対して一つの命がある)」
という考え自体が大間違いだったということです。

僕だけの話ではありません。
単独として人の身体に宿る命など、誕生したことはありません。
最初からないのだから、失う事もできません。
だから、とても不思議なのですが……僕たちは死ねないのです。

命は、生まれることも、失われることもありません。
増えることも、減ることもありません。

しかし、『自我』と呼ばれる「私」という感覚は、
生まれたり失われたりすることがあります。

この感覚のせいで、僕たちは「生死」という根本的な
誤認を作り出してしまいました。

「自分と自分以外がある」というこの認識のされ方は、
幻想の中で行われている認識・錯覚で、本来存在のすべては
一つの同じものである。ゆえに、生命は複数存在するものではなく、
唯一無二の存在であり、人はみなその同じ命を共有している。
また、「自分」が命を所有しているものではなく、命そのものが
「自分」であるため、「命を失う」ということ自体がありえない。



「もっと あの世に聞いた、この世の仕組み」より
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/



なんかこの内容に納得してしまう。
肉体の生死と精神の生死を混同するから矛盾が生まれるのですね。


これを裏付けるような内容が続きます。。。

スポンサーサイト

コメントの投稿

 管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
Copyright © 日月神示と宇宙の法則から学ぶ幸運をつかむ法. all rights reserved.
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。